貴女と一緒に、逝っていたら

どんなに、どんなにか楽だっただろう

どうして貴女は、僕を一緒に連れて逝ってはくれなかったのですか?




















f l o w e r




















その日、彼の様子は少し変だった。

おはよう、と挨拶をしたけれど、何処かその瞳は私を見ていなくて。

同じ食卓についていても、心あらずといった感じで。

ただ彼は、窓の外を何かに思い耽る様に眺めていた。





「ご馳走様」





朝御飯を終えた彼は、立ち上がり自分の食器を下げ終るとすぐにダイニングから出ていった。

エンジンの音は聞こえなかったので、彼は家の何処かに…恐らく、書斎にでもいるのだろう。

その時私はまだ、特におかしいとも感じていなかったのでそのまま食事を続け、

食べ終ると食器を下げて彼と私、そしてピノコちゃんの三人分の食器を洗い、片付けた。


今日は、日曜日。

学校がない私は、食器洗いが終るとリビングに軽く掃除機をかけて

それからソファに座ってテレビをつけるとたまたま入っていたバラエティ番組に意識を傾け、

しばらくは彼の様子が少し変だった事も忘れ、時を過ごした。





「夕飯までには、戻ゆわのよ!」

「うん、行ってらっしゃい」





昼前になって、ピノコちゃんが友達と遊ぶ為に出掛けていった。

それまではテレビの音と、私たちの話し声で賑やかだったリビングに、急に静けさが訪れた。

テレビの音は今まで通りなのに、彼女がいなくなっただけでさっきとはとても違う。

一人リビングに残された私は、特にする事もないのでまたついているテレビに視線を戻し、お昼を待つ。

時計の針が頂上を回ったら、昼御飯の支度をしよう。

二人だけのお昼に、何を作ろうかな…そんな事を考えながら、時間はゆっくりと過ぎていった。










「…」





遅い。

何かが変だ。

時刻は午後1時20分、お昼は過ぎている。


私がお昼御飯の支度を終えてから、結構な時間が経っていた。

ダイニングテーブルの上では、サラダともう冷めてしまったオムレツ、

そしてまだ中身を盛っていない茶碗とスープボウルがこの家の主人を待ち侘びていた。

いつもなら12時半には、御飯の時間だと心得ていて書斎や診察室から出てくる彼。

しかし今日はいつまで経っても、いつまで待ってもその姿を現さなかった。

何か急ぎの調べものか、相当難しいものなのか…そう思って何も言わず待っていたけれど、

もうそろそろ一体どうしたのか聞きに行っても良いだろう。

いや、その前に私に一言位かけてくれても、良かったと思う。

時計の長針が5の数字を通り越したのを見ると、私は立ち上がってダイニングを出て彼の姿を探した。

診察室には、その姿はない。

と言う事は、恐らく彼は書斎にいるのだろう。

私は書斎のドアの前に立ち「先生、入るよ」と一言声をかけると、ドアノブを回してその部屋へと入った。





「先生…?」





返事がないまま部屋の扉を開き、私は彼を探した。

本棚がいくつも立ち並ぶ所には彼の姿はなく…そのすぐ近くの、机の所に彼はいた。

椅子に座り、左手で頭を抱えるように…机に突っ伏していた。





「っ…先生?具合悪いの?」





そんな彼を見て、私は慌てて側に駆け寄った。

向けられたその背中に手を起き、軽く揺すってみる。

触れただけだからちゃんとは分からないけど、呼吸も体温もほぼ平常だったと思う。





「………いや」

「そ…そう?」





その言葉に、とりあえず私は安堵した。

私は彼の様に医者ではないからよく分からないので、今はその言葉を信じる事にした。





「…!」





ほっと一息ついた所で、私はあるものに気が付いた。

──────それは、一枚の写真。

机の上に伸びた彼の右手に、それはしっかりと握られていた。

古びた一枚の写真…その中で、一人の綺麗な女性が優しく微笑っていた。

…その微笑みは、どことなく誰かにとても似ていた。





「先生…どうしたの?」

「─────命日、なんだ」





私が言葉を紡ぎ終る前に、彼はそう言った。

いつもの彼とはまるで違う、消え入りそうな声で。

命日、なんだ。

ただそう一言、呟いた。

誰の命日かは、訊かなくても想像はつく。

彼の握る写真の中で笑う女性…彼女の、命日なのだろう。





「…そう、なんだ」

「…」

「お墓参り、行かなくて良いの?」

「…もう何年も、行ってない」

「どうして」

「思い出して、しまうから」





こういう時に何て言っていいのか、全く言葉が出て来なかった。

きっと彼が一番大切だった人の、最期の日。

誰にだってそれはあるし、私も経験はある。

だけど彼は、「思い出してしまう」と、そう言って墓前へ赴くのを拒んでいた。

─────何を、思い出すのだろうか?

悲しみ?悔しさ?

─────憎しみ?





「そ…か」





私はそれ以上、何も言わなかった。

否、それ以上、言えなかった。

きっとそれは、私の想像を絶する“想い”なのだろうから。







「っ!…何?先生」





不意に、彼は私の名前を呼んだ。

その呼び声に驚きながらも、私は返事を返す。

そして彼は、まだ机に体を預けたまま私に問掛けた。





「俺は…どうするべきだったと思う…?」

「え…?」





思わぬ質問に、私は彼の真意を理解しかねて思わず聞き返す。

しかし彼はそれを意に介する様子もなく何事もないかのように言葉を続けた。





「どうして俺は…あの時、死ななかった?」





…しばらくして、私は彼の言葉が「私への質問」形式ではあるが、それがそうではなく…

「自問」の様である事に気が付いた。

まるで独り言の様に、彼は机に臥したまま言葉を続けた。





「どうして俺は、一緒に連れて逝ってもらえなかったんだ?」

「っ…!!」





彼の一番らしくない独白に、私は思わず言葉を失った。

だけど視線は彼から外せないまま。

…写真を掴む彼の右手が、小さく震えていた。





「俺はあの時、死ぬ筈だった…」

「…」

「だけど最高の技術と貴女がくれた体の欠片で、生き延びた」

「…」

「骨も皮膚もいらなかったから…ッ…そのまま一緒に、逝っていたら…!!」

「もうやめてっ!!」





バン、と大きい音がした。

それが、彼が机を左手で殴ったからだと言う事に気付くまで、数秒かかる。

思わず、私は声を荒げて彼の言葉を無理矢理止めた。

もう、それ以上聞きたくない。

そんな哀しい言葉なんて、聞きたくない。

彼は私の叫び声に驚いたのか、顔を上げて此方を見ていた。

数時間振りに見る彼の顔は、憔悴しきっていた。

…気が付けば、私は泣いていた。

両の目から、ぽろぽろと熱い涙がこぼれ落ちていた。





「お願い…そんな事言うの、やめてよ…」





どうにもならない哀しい感情が、私を取り巻いていた。

溢れる涙が、止まらない。





「逝っていたら、なんて…バカな事言わないで!!」

「……?」

「貴方が生きていたから、私は貴方に出逢えた!!」

「…っ…」

「せっかく二度も与えてもらった命を、どうして…どうしてそんな風に言うの…?

 貴方の為に、貴方を想って、お母さんは…お母さんは…!!」





私自身は、母親、というものが好きではなかったはずなのに…どうしてだろう、

心の奥から次から次へと言葉が溢れてくる。

涙声で言う言葉は、説得力がなかったかもしれない。

それでも私は、叫び続けた。

声が枯れてもいい。

それでも私は…貴方に、分かって欲しい事があるから。





「死んでたら楽になるなんて、そんなの卑怯よ…」

「─────…」

「ねぇ、まさか自分は独りだとか思ってる!?

 置いてけぼりにされて、独りぼっちだとか思ってるわけ!?

 そんなわけないよねぇ!?」

「……?」

「ちゃんと周り見てよ…私だって、ピノコちゃんだって…先生の側にいるんだから!!」





…その時の感情は、怒り、と言うよりも悲しみや悔しさに近かった。

何年も何十年も彼と一緒にいたわけでもないけれど、それでも心を許し合ってからは、

誰よりも彼の近くにいたつもりだったから。





「過去が“こうだったら”なんて思わないで…

 その過去があって今“こうしている”って、思って…」





そして私は、彼を抱き締めた。

彼が椅子に座っている為、普段は見上げた位置にある彼の頭がすっぽりと私の胸に収まった。





「私は先生が、その時生きていてくれて良かった…ほんとにほんとだよ…?」

…」





私の背中に、力強い腕が回された。

ぎゅ、と服を掴まれた指先に力を感じて…彼が少し、落ち着いたのが分かった。


大丈夫、大丈夫ここにいるよ

私は誰よりも、貴方の命を、望んでるよ


どうかお願いだから、そんな悲しい事はもう言わないで…?





「もう少しだけ…このままで…」

「…うん、いつまででも…」










それから私たちは場所を移し、リビングのソファの上にいた。

ソファの上で抱き合ったまま、私たちは何も話さず、午後の光に射されながら時間が過ぎていった。

夕べはあまり、眠れなかったらしい。

彼は目を閉じると、すぐに眠りの世界に落ちていった。

すうすうと規則正しい寝息の音が、すぐ私の耳の上で聞こえた。





「…ん………」

「先生…起きたの…?」





それからしばらくして、眠りから醒めたような、小さな呻き声が聞こえた。

寝起きの彼に気を使うように、私は声を潜めてそう訊いた。

しかし彼はまだまどろんでいるらしく、返してくれる言葉ははっきりとしたものではなかった。





「夢を…見たんだ―――――――――――…まだ子供だった俺がいて、そして…」





先程までとはまるで比べ物にならないくらい、彼は穏やかな口調でそう言った。

とても嬉しそうに、幸せそうに。





「うん…夢は、心のアルバムなんだよ…幸せな記憶をいっぱいいっぱい、見せてくれる…」

「心の…アル、バム…」

「そう…」





そしてすぐにまた、彼の瞳は閉じられて…再び、夢の世界へと行ってしまった。

私は彼の白黒の髪を撫で、起きる様子のない事を確認すると、

ソファの背凭れに彼の体重を預けてそっと音を立てないよう立ち上り歩き出した。

そしてダイニングテーブルの上の花瓶に活けてあった花を掴むと、

そのままダイニングに面したテラスへと出て、空を見上げた。





「…」





抜けるような秋晴れの、蒼い蒼い空。

私はそれを見上げながら、手に持った花をちぎって、海に向かって投げた。


瞬間、強い風がそれを攫って、花びらが空に舞う。

薄紅色のコスモスが、空に咲いた。


大丈夫です

彼は本当は 強い人だから

大丈夫、今日は悲しい気分だったけど

明日はきっと、晴れてくれるから





―――――――― 春になったら、種を植えよう。

         この丘が、貴女を想う花で いっぱいになるように ――――――――















fin.


そういえば九月はお彼岸だったなぁー、と思い一気に書き上げちゃいました。

黒男ママンの命日はいつかはわかりませんが、秋だったらいいな。

秋なイメージ。

今回は珍しく弱気…というか情緒不安定な先生でした。

少なからず一回くらいは、先生はこんな風に思ったこともあるんじゃないかなと思って。

それでも私は、先生が(紙の中だけれども)生きていてくれて、本当に良かった。

イメージソング(笑)はL'Arc〜en〜Cielのflower。

段々書いてる内に、「あ、合うかも」とか勝手に思っちゃいました。

少し古めの曲だけど、メロディがきれいで歌詞もきれいで、おすすめです。


05.10.04<happy birthday,Keigo!>*B・Jとは関係ないけれど、景ちゃん誕生日おめでとう*Mia